高幸

ある製薬会社で記者会見が開かれた。代表取締役、曰く、製品に問題はなく、禁忌を守らずにOD、つまり過剰摂取する消費者がいけない、と、それの一点張りであった。マスコミはしばらく、その製薬会社をつついたが、しばらくすると、すぐに別の話題に飛びつき、結局、問題の”くすり”自体はこれからも変わらず販売される運びとなった。そして、代表取締役の息子が、その”くすり”の中毒であることは、世間に知られることはなかった。

息子は放蕩息子だった。ギクシャクした家庭と、父親の潤沢した財産からくる小遣いで、若い頃は派手な遊びをした。そんな息子も、もう20代半ばとなって、いよいよ周りが落ち着くと、孤独ゆえに”くすり”をよく飲むようになった。父親はいさ知らず。昼夜問わず、何かと理由をつけて、のむ、のむ。のんでいる間だけ、自分が自分でいられるような感覚だった。

息子の名は高幸(たかゆき)であった。ときどき、高幸はときどき、自分の名について、思い耽ることがあった。幼少期、由来を父に聞いたことが何回かあったが、聞くたびに、曖昧な、毎回ちがうホラ話のようなお茶の濁されかたをされ、その度に、自分の名に意味などないのだろうと、そういう考えを固めていた。だが、もし意味があるのだとしたら、高くて(ハイで)幸せ、などと言われたら、さぞ恥ずかしくて、赤面ものだなあなどと、少し安堵するところもあった。

高幸はいつも通り、自室でくすりを、ジャラジャラとのむと、インスタントな高揚を感じながら、音楽でもかけて、ぼうっと過ごすのだった。何がしたいとか、どういう人間になりたいとか、そういったまとまった思考をしたことはなかった。自分は高幸だ。それ以上でもそれ以下でもない、と思いたい、といった具合に、最近の彼は、自分の名前についてとらわれていた。

彼は、齢26にして、家を出たことがなかった、出ようと考えたこともなかった、幼少期から馴染んだ自室で、最近はもっぱら一人で時が経つのをまっていた。母は、まだ彼が幼い頃に離婚していた。父は、これがもう、まったくの無干渉であって、いや、無干渉を通り越して、息子に対する恐れのような感情を抱いてすらいて、その感情は、息子と同じく放蕩人の妻に対するものと同じだった。息子を見ていると、元妻へのどうしようもなさみたいなものから逃れられず、これは生涯続く「呪い」みたいなものだな、と父は認識していた。

高幸自身も、自分がそんな厄介がられているのを認識していたが、母から受け継いだ、生まれ持っての楽観で、乗っかるだけ乗っかろう、と、父の弱みと財産につけ込んでいた、無意識のうちにだが。とはいえ、名前についての懸念が残る。高幸。はたして、おれの名は、どうやって生まれたんだ?まるで予言みたいだ、何もかも見透かされているのか?高幸。高幸。自分の名前が脳裏から離れないような、強い焼きつきを感じ、その痛みから逃れるために、高幸は、今晩も、一人で過ごすために、”くすり”をのんだ。

母はどんなひとだったのだろう。今更掘り起こす話題でもなく、父には聞けなかった。ならば、と尋ねるつてもなく、幼少の記憶を辿るしかなかった。もし、連絡が取れたとして、何を話すか。名前の由来くらいだろう、実際の所、母も話すことはないだろう、とおもっていた。高幸は、自分が落ちぶれたジャンキーの類いなのだと自己認知していたから、何もかもさらけだして話せるわけもないな、と、そこでも母に対する隔たりを感じていた。

ある種の自己憐憫によって、逆説的に自己を見出していた高幸は、毎晩、”くすり”をのんで、高ぶって、インスタントな幸せをむさぼる、そんな自分が嫌いだった。嫌いだが、それが彼の精一杯の処世術で、それしか知らず、それでいままで来てしまったから、もはや別の選択肢というのはなかった。ただ、これも母からくる楽天家的な考えから、まあ生きてるだけで儲けもん、という歯止めがかかり、そこまで深く考え詰めることはなかった。

だが、最近ずっと離れない、高幸という名前。どうしても、自分が自分であるために、その意味を求めること。異常とも言える執着があった。いままで自己認知など、てんでせずに生きてきたのに、自分の性格上の欠点や生きづらさ、その他諸問題がすべて、”高幸”に収束するんじゃないか、とまで思っていた。話になるかならないか、それはさておき、母と話がしたかった。

5月のゴールデンウィークだった。父は、根っからの仕事人間で、祝日などはお構いなしに、よく働いたが、今年のゴールデンウィークは何故か家にいた。家にいる時の父は、なにかとソワソワしていて、やることがなく持て余しているように、高幸には見えた。普段、会話などしようとは思わなかったが、今年は何かが違った。高幸が高幸であることに悩み始めたからに間違いなかった。高幸が尋ねる。「母とは連絡をとっていますか?」母の話題など、何年振りに出したかわからなかった。しかし、何の気なしに、といった口で、すらっと言葉がでた。父が返す。「とってない。いきなりどうした、いまさら、どうした」この返しだけで、父が話したがらないテーマに踏み込んでいるのはわかった。しかし、高幸は、そんなことはお構いなしに続けた。「母の連絡先を知っていますか?できれば、僕と繋げて欲しいんですけど、」父は訝しんだ顔を返し、しばし沈黙した。息子が何を言ってるのかわからないことが、いままで幾度もあったが、その時にする表情を、やはり今回もしていた。「あのなあ、たぶんだけれども、お前と母さんを取り継いだところで、お前の求めた結果にはならないよ。だからおれは、それはのめないな」「じゃあ、僕の名前の由来を教えてくれませんか?」高幸がこう返すと、父はますます、奇妙なものを見ているような表情になって、「本気で言ってるのか?」と口にまで出した。

実際のところ、高幸が生まれる前後、父は、それはもう人一倍、二倍、三倍ぐらい働いていて、出産にも立ち会わず、全然無関心、と誰もが認めるくらいだった。だから名付け親は母であり、その由来をきくことすらなかった。高幸が生まれるころには、二人の関係は既にうまくいっていなかった。だから、知らなかったのだ、由来など。そしてそのことは、もはや時効になっていて、今更ほじくりかえされることもないと思っていた。

その晩は結局、それ以上の会話はなかった。ただ、高幸の母に対する恋慕というか、母に一度あって話したい、という気持ちが強まった。それから、何とも言えぬ不安感も強まり、いつもよりおおく”くすり”を飲んだ。”くすり”が効いている間は、自分に欠けている何か、とか忘れてしまって抜け落ちている穴のことを気にしなくて済んだ。おれは高幸。ハイになって幸せな男。ドラッグのために生まれてきたような名前。でも実際そうだからいいのだ、これでいい。でも、最近はなぜ、こう、悲観的なものの見方をするのだろう、おれは楽天家だと自分を認識していたのに。名前が気になってからだ。やはり、高幸の意味をしらなくては。母と話さなければ。そう思うと、次の瞬間には、またジャラジャラと”くすり”を飲んで、思考を鈍化させ、無心に戻って、ラリっていた。

ゴールデンウィークも終わりかけのある日、父にとって衝撃的なニュースが舞い込んだ。父の製薬会社の、高幸も日頃お世話になっている”くすり”で、ODによる死者が出た。服用していたのは女子高生で、マスコミはこれをセンセーショナルに報道した。前の記者会見が記憶に新しいなかであったので、今回はさらに風当たりが強かった。そして、製薬会社側の対応として、問題となった製品の自主回収、および発売禁止を表明した。父も相当頭を悩ませたが、もっと悩んでいたのは高幸だった。まるで、自分のアイデンティティが一日によって、むりやり剥がされたような、急に全ての世界が一転してしまったかのような、強い衝撃を高幸に与えた。いままで、考えなくてはならないことを、目をそらすことができるために頼っていた、完璧な依存先をなくして、高幸は錯乱状態にちかいところにいた。これから、おれは、見なくてはならないのだ、自分というものを。

それから高幸は、もう一度父と話をしようと思った。”くすり”をのまないことによる離脱症状で手を震えさせながら、父親に、「今日、話したいことがあるので、時間をつくってほしい」という連絡をし、父が帰ってくるまで、自分の出自について、忘れているものや押さえ込んできたこと、すべてを洗いざらい出してしまおう、と、回らない頭で考えた。

母はどんなひとだったか。いつも、けらけらと、笑っていた。笑い声が特徴的だった。よく、おれを連れて、見せびらかすように、街へでかけた。楽しかった。でも、小学校に上がってから、ほとんど家にいない日々が続き、あまり記憶にない。そうだ、一回父と大喧嘩をしたことがある。母がヒステリーを起こしておれと死のうとした時だ。飛び降りだった。父が血相を変えて止めたんだ。あんな顔、もう2度とみれないぐらい、父は怒っていた、あんなに無頓着に見えた父が見せた、必死な姿だった。そうだ、母も”くすり”を飲んでいた。父に見つからないように。だから、”くすり”をのんでいる母のことを理解できなかったように、父もおれのことを理解できないんだ。恐れられているんだ。わかった、わかった。

父が帰宅した。高幸は開口一番、”くすり”をのんでいたことを吐き出した。父は、血の気が引くような表情をしたあと、母のことを思い出しながら、そうか。とだけ言った。高幸は、続けた。「お父さん、おれの名前に意味はありますか?」父は、「名前なんて、意味はないんだ、それより、おれは今日、はじめてお前に向き合おうとおもった、それだけで、名前の価値なんかより、なんべんも意味のあることなんだ」高幸は混濁した頭で話しつづける。「でも、じゃあ、母がつけてくれたこの名前は、まったく意味がないの?」「これから見つけよう」

それから、二人は母の身元を探した。父は連絡先をもってはいたものの、もう何年もほっておいていたので、結局、警察に身元捜索を依頼した。母はごく最近、自殺していた。

二人はいまではよく会話をする、仕事のこと、高幸はバイトをはじめたのでバイトのこと、名前のこと、父は次郎というなんのことのない名だったこと、そして母のこと。思い返して、二人は幸せというものが家庭にあったのだと信じている。高幸が、高幸という名が、どうして思いついたのか、それをずっと考えつづけている。

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