日記 001 チルについてかんがえてみる

 チルっていったい何なんだろうな。いつから生まれた概念なのか、見当もつかないけど、「チル」って言葉が生まれるよりも前にも、人はチルを経験しているだろう。たとえばローマのスパに入っている平民の心境たるや、チル以外なにものでもないだろう。チル。和訳だとさむいとか。スラングでまったりする、のんびりするといった、おれの考えるチルにちかい意味がでてくる。おれはチルってのは状態であると同時に、行為や環境も含めたメンタルの落ち着き、これだと思っている。そしてチルは最高にクールで気持ちがいいものだとも。だからおれはチルに生きたいとおもっているし、チルを世界にひろめたいのだ。あっついとこう、もう脳がぐじゃぐじゃに溶けちゃって、そんなんクールじゃないし、何かに興奮して、いや欲望とか、野心などに駆られて、熱病に浮かされたようなそんな形相で、何かをするってのは、おれからしたらとても醜い。つねにチルでいたいのだ。でもそんなことはなかなか難しく、おれはパチンコに熱中したりするのである。

 チルになるには結構マインドセットやらなにやら整えないといけない。時間をかけて、本、映画、あるいは音楽でも、なんでもいいからおかずとともに、心を穏やかにしなければならない。チルのおかずはだいたい文化的なもの、あるいは美的なものだと思う。文化・芸術・美、これらは人間の暇がもたらした奇跡であって、これを享受して楽しまなければ、まったくいままでの文化的創造者たちの功績を踏みにじるようなことであって、ひじょうにかなしいというか、もったいないとも思う。文化偉人はみなチルだ。クールだ。かっこいい。得てして偉人というのはチルな顔つきをしている。今日、たまたま見ていたマルコムXのドキュメンタリー。マルコムXのチルさよ。まあ、でも政治はちょっとチルじゃないからNG。おれは政治嫌いのチルボーイなのさ。

 チルボーイとして生きていく以上、おれはこのサイトで、なるべくフレッシュなカルチャーや、知られざる、忘れ去りつつあるチルを紹介していくつもりだ。ただ、懐古趣味的にはなりたくないので、バランスよく。この活動ですこしでも世界、とくに自分がチルになれることを期待している。

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