日記 042 文章はすべて伝わる

文章って、読めばすべてわかるもんなんだよな。やる気のないレポートの文、好きな人におくったこころのこもった文、やる気のない日記の文、とかね。それだけ文章には情報量がある。文章は文字の羅列の記号ではない。コンテキストがあって、意図があって、こう思って、こう伝わるように、誰に向けて、とかいろいろある。だからコミュニケーションにおける文章というのは、相手のことを知るのにもってこいなのだ。たとえばたとえば、好きなひとがいたとして、その人とラインなどしてみる。したら脈ナシとかアリとか、わかるもんだよね。ほかにも、あ、こいつかっこつけてんなあとか、隠しているなあとか、いろいろわかる。おもってる以上に文章ってのは情報がおおいのだ。だって人間は文章で思考しているから。脳みその中でずっとおしゃべりしてるんだ。そこで思っていることや口癖などは文章にも自然とにじみ出てくるものだ。そして、これは会話にも同じことが言える。会話は文章以上に伝わる。しゃべりかた、抑揚、語彙、言葉選び、間、それらを総合してコミュニケーション・バトルをするのだ。おれは会話が好きだけど、10分も会話していればその人というのはだいたいわかる。だから、そこで魅力的な人にすごくひかれるのだ。会話がうまい人というのは、おもしれーやつなのだ。考えてるやつなのだ。だから、そういう人に敬意をもちつつ、この人と関わっていきたいと思う。そのために、自分の会話力というのを上げたいなあなんてふと思う。おれは人からどんな風に思われているだろうか。おれのはなしかた、文章からなにが伝わっているんだろう。文章を晒すというのは、それだけ読み手に自己開示をしているわけで、とても恥ずかしいことだ。でも、おれはあんまり考えないようにしてる。おれはこういう人間だ、ということを知ってもらいたいという気持ちのほうが強いから。まあ、ようは、文章がすてきな人はすてきだよね、会話もしかり。というよくある帰結であります。以上!

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