日記 005 風呂についてから宇宙まで 日記 2023.10.162023.11.23 やっぱり風呂はチル。令和に清少納言がいたら、さぞかしスパ好きであったろう。よくよく考えると入浴って贅沢、とえらい人はいいました。身を清めるのは勿論、入浴なんて贅沢すぎる。必要ありますか?必要なんです今の世界には。だってチルだもん。ぼくおもいます、忙しい現代人の唯一のチルタイム、それは風呂。風呂に入ってるときぐらいしかチルしてないともいえよう。だからQoB(Quolity of Bath)ってとても大事なんだと思う。たとえば、風呂がきれいだったりとか、風呂で音楽ながしたりとか。で、先日風呂に入っていたんだよね、当然習慣として。そのとき考えていたのは風呂での「気づき」は結構あるなあと。おれはなにか、物事に対する考え方やとらえ方がピシッっとコロッっと変わってしまうことがあるのだが、そのことを「啓示」と呼んでいる。風呂ではその、啓示に近い、気づきがよくある。そういえば・・・。などから始まり、洗体というのは脳が自動化してるからずーっと考える。考える。考えることでそこでようやっと気づきが生まれる。こういうと、考えるから気づきを得たのだ、というふうに解釈されそうだが、そうではなく、その最初の、そういえば・・・、この部分がとても啓示的なのである。つまり、宇宙からのシグナルなんてアルミホイルみたいなことは言わないけど、なにか儀式的な効果によって宇宙、あるいは高次とつながり、気づきを得るのではないか、と思ったんです。ぼくは。 さて、この気づきは意味を持つのか、自信を無くしてきつつあるおれは、風呂入って歯ぁ磨いて寝ろよ!みたいな文言をふと思い出す。これは、本当にいいことを言ってるな。風呂と歯磨き、この二つの習慣がいかに人をチルさせているか。うつのひとが風呂に入れなかったり、歯磨きしなかったりするのは習慣という命綱みたいな存在を手放してしまっているからだ。人は習慣で生きる。習慣なしで、いきなり一日過ごしてみろ、と考えるだけで不安だ。それだけ習慣というのは、人を動かすモチーブになり、脳の効率化でもあり、強い存在なのだ。決められた習慣に従うもよし、だが、先人はやっぱりわかってるから、風呂と歯磨きというのは、とても大きい習慣として残ったんだなあ、ってぼく思うんです。