日記 014 たった26年の孤独

わたくし、齢26にして、ようやく気付いたことがありまして、恥ずかしながら書き綴ろうとおもうのですが、テーマは孤独といったありふれたことであります。孤独はつらい。なによりもつらい。人は、孤独だと間違いなく弱る。そんなん当たり前じゃないかなんて、言わないでください、ぼくは孤独を知らなかった幸運なボーイだっただけです。べつに、現状、孤独なわけではなく、孤独の恐怖に気が付いてしまっただけです。だって孤独だったら、見ている人が、観測者がいなければ、審査の目がなければ、人なんてちっぽけな自分ひとりの世界で生きるしかなく、あまりにもその世界は狭い。人とコミュニケートすることで世界は広がり、他者とつながることで孤独という監獄から逃れることができる。おれはもともと社交が嫌いというか苦手だったのだが、社交をおろそかにすると孤独になるみたい。いまになって孤独をひしひしと感じている。寂しかった、むなしかった、なんの意味も見いだせなかった、自分に。谷川俊太郎は20億光年の孤独を感じてくしゃみをしたけど、おれは26年の孤独で涙した。つながらなきゃ、だめなんだよ。こんなインターネットの片隅の端書でも、おれはつながっていたいんだ。なんてセンチすぎ?でも、たしかに言えるのは、他者がいなければ、自分もいないってことだ。だって自分がひとりぼっちだったら、それは、ニンゲン的じゃないというか、他者がいて初めて自分が成立するもんだから。当たり前だね。生まれる前は、母親という大きなつながりによって孤独を感じないが、外にでて初めての恐怖は孤独だ。母親からへその緒がとれた瞬間、自分という個体を実感し、そしてひとりぼっちになるのだ。だから赤ちゃんは泣くんだね。おれも昨日泣いたけど。

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