日記 018 コーヒーとあのころ

コーヒーをセブンで買った。思い出すのは大学をさぼって、サンマルクカフェのアメリカンみたいなうっすい酸っぱい、砂糖をたっぷりいれたコーヒーを飲んでいた日々。もう何年まえかなあ、あれはおれの習慣であったし、すべてのことから逃れるチルタイムだった。習慣はひとをおちつかせる。はっきり言って今日はチル。コーヒーを飲むと、何かこころが安定しているような、そんなきもちになる。頭はカフェインでぽうっと浮かされ、身体が火照る。サァ、なにかしようかしら、なんてきもちになる。普段はコーヒーなんてあんまり飲む機会ないですよ、丁寧な暮らしなんて、そうそうできたもんじゃないし。でも、たまにはこうやってコーヒーでも買って、懐古するのもいいものね。そう、あのころ、コーヒーを飲んでいたころ、おれは何を考えていただろうか。あのころ、ということばは好き。過去の記憶は脳に永遠に残り、自分を構成する一部となる。そう、生きているんだから、あのころ、というのは無数に存在するのだ。あのころ、あのころ、そのまたあのころ。それの積み重ねで今があるんだね。なんて感傷的になっているのはコーヒーのおかげかもしれない。振り返りというのは、意識しないとできないものだけど、コーヒーが蘇らせるのだ、あのころを。あのころはよかったなあ、と思うことは多いけれど、実際、当時はそれどころじゃないし、いつだって今で生きている。コーヒーは記憶のいちページをくさびで止めておくような、そんな存在なのかもしれない。コーヒーを飲むことで、むかしのノートをペラリとめくって、感傷にふける。そんな朝って、とってもチルだ。

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