日記 069 日記について考える

ひとってさあ、結局いまでしか生きていないから、過去のことはすべて記憶になっちゃうんだよね。で、なんか、こう、だらしなく生きてると、今日起きた出来事や、感情の動きとか、そういうのを感じとらずに生きるわけで、そんな日って、たとえばおれが40のオッちゃんになったときに思い出しますか?って。出さないんだよ絶対覚えてないんだ。だから、夢も思い出も大差ないんだよな。そこで起こった自分の情動の変化、ただ、それだけに注意して生きていれば、もっと日々を大切に、なんてあたりまえのセリフを言っちゃうけどそうなんだよな。ここ2~3年の間でおれが得た数少ない知見のひとつ、それは、時間ってのは早くなったり遅くなったりするってこと。時間には密度がある。密度のひくい時間をすごすと、それだけ損してるように思う。おれは。で、日記ってのは本来、その日起きたことを思い返して、その時にまで遡ることでかけるんだ。だから日記をつけることで、その日を思い返し、さらには文字化することで、その日の密度を濃くすることができる。追体験というか、もういちど感情を整理する。そこで生まれたものは、その当時に生まれた感情とすこしズレているものだったとしても、それは日記の性質であって、悪いことじゃないと思う。とにかく、無感情というものが一番だめだ。無感情でいることは簡単だ。ただなにもかも感じないように、考えないようにするだけ。誰でもできる。でもさあ、そんなんゾンビじゃん?ゾンビより人でいたいのに、おれは今日無感情生活をしてたから、なにも思い出せない。だから、日記てのは、その時、感情が起こって、かつ、それを思い返さないとかけない。最近、日記がかけねえ、と思っていたおれは、そりゃ無感情ですごしてるからそうだ、とさっき納得したわけ。だめだ、無感情は。感情を揺さぶらずして何が人間か、どんな風でもいいから、なにか感じなきゃ。そして、それを文字にしなきゃ。それがおれのギリギリの生きがいでもあるんだから。

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