日記 021 不満足な豚に甘んじた豚

えらいひとはいいました。満足な豚であるより、不満足な豚でありたい、と。ギリシャの哲学者だったんだけど。たしかに哲学者という立場からすると、不満足な豚であることは必要な態度というか、満足していたらそりゃ思想とか生まれないワナ、なんて思ったんだけど、おれは満足な豚でいたいんだ。でも、これは意味合いが少し違うというか、原義てきなものとは逸れた考えだ。不満足な豚でいると、不満足に甘んじた豚になる可能性をはらんでいる。不満足に甘んじるとは、つまり不満足故に、その不満をギャーギャー鳴きわめく赤子になっちゃうんだ。不満足な人間になる。不満への不満を嘆き、不満だから何かにすがりつき、依存なり、環境に適応してしまう。哲学者でもないおれは、不満足だと甘えちゃうんだ。不満足は心を削る。削ってまで考えて、その状況を打破するという力は、おれにはないと、さいきんようやく気付いた。だからおれは満足な豚でいい。満足だけど腹ペコの豚。まだまだ満足を求める豚。だけど貪欲とはすこし違うような。満足でいることは決して悪くないんだ、結局必要なのはその態度だ。満足であると、満足であることを認知できなくなってしまいがちだが、自分は満足しているんだ、と認知し、さらなる満足を求めて行動する。こっちのほうが健康的で現実的だな、なんてしょんべんしながらおもってた。幸い、豚小屋の狭いスペースでおもらししたわけじゃなくて、自分の家のトイレで自由におしっこできている。これだけで満足はある。満足を感じて、そして満足をみがく。いまのおれにはこれだけで、じゅうぶん思考できるし、向上できるとおもった。自分は不満足という認識をすて、満足したなかで生きていければ、それ以上はないのかな。

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