日記 034 持ち手をなくした傘

この間ね、雨がぽつりぽつりと降ったりやんだり、そんな時期があったんだけど、その時のはなし。晴れのときって傘ってすっかり存在を無くしてしまうっていうか、ハイ、僕たちがいると雨を想起させてしまい申し訳ないため、控えさせております、ハイ、というくらい、気配すら感じさせない。晴れの日ってのは結構連続してくるから、雨がない限り傘くんたちには用がないので、WINWINといったところだろう。ところがどっこい雨の時期や季節、あるいは連続した雨の日、人は傘くんをうつうつと持つわけだ。あの丸くフックみたいになってる持ち手を。でもね、この前、いつものセブンの前で持ち手のフックのところがぶっ壊れて、いやぶち折れてる傘があったの。まず、そんな折れ方する?って思ったけど、この傘は本質をなくしてしまったのだなあ、とふとおもったんだよね。死んでしまった傘。持ち手がないとだれも使わないのだ。そう思うと、道具には弱点というか、核心みたいなものがあるんだなって思う。たとえばiphoneだったらエネルギー源であるバッテリーを狙えばいいし、あと、なんだろ、さびてしまった包丁みたいな。そのさびるという性質が核心だ。だから、道具には用途があって、そのための機能をもっているが、核心がこわれると、その性質を失う、といえる。よって、道具は死ぬ、生き物なのだなあとかも思う。長年連れ添った初代iphoneSEくんのことは忘れないし、なんかワンちゃんみたいだなって思う、ワンちゃん飼ったことないけど。愛着とかもそこそこ沸くしね、道具って。最近、ものを大事にしようとおもって。ものをていねいに扱うひとは、すごく魅力的というか、おとなだなあ、っておもいます。おれもそろそろガキじゃねんだからさ、ものを大事にくらいカルマレベルとして当たり前にやれや、っておもいます。だからこそ、持ち手を無くした傘を見た瞬間、ちょっと悲しくなった。こいつは死んでいる、殺されたかもしれない、イライラしている人に折られたとしか思えない変な折れ方だったし。道具殺しにあったんだ、かわいそうに、おまえはもう傘として使えない、しんでしまっているんだ、おれができるせめてのことは、写真をとって、おまえのことをわすれないことだけだ。とかいって写真とかとって、見返したときにどんな感情になるのか。でも、この感情を忘れちゃだめだとおもうんだよね、だってものは大事だから。

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