日記 040 審美眼、いや選美眼、いや

日記

今朝、いつものようにセブンいって、その帰り道、きれいな月をみたの。朝の月。白くてぼんやりしてて・・・だめだあんまり観察してないから思い出せない。でもきれいだった。わたくし、ふと思ったのですが、美しいものをとらえる能力というか眼というのは何て言うのだろう。審美眼?それだとなんか美しいものと美しくないものをクッキリ区別をつけてるみたいでなんかニュアンス違うし、選美眼(こんな語はありませんが、たぶん)つまり野球の選球眼みたいな、いっぱい流れてくる情報の中から美を選びだして感じる、てきな!のもちょっと違うと思うんだよね。なんつーか、こう、すべてのものごとに美を感じだせちゃうっていうか、谷川俊太郎みたく、なんでもおまんこ、みたいなとんでもねー眼と感性をもっているというか。すべて美にしてしまう、ナルトの最終章で出てくる仏陀眼(ブッダ眼!)(そんなものはありませんが、たぶん)みたく、ぜーんぶ美しく見えてるんだろな。でも、美っていうのは眼だけで感じるものではないとも思う。当たり前だけど。例えば、おれっちが今朝、月をみていたとき、眼は月をとらえていましたが、月の光がはるばるぼくの網膜に突き刺さって、それがなんか神経接続で脳まで届いて、脳でこれは月だ、と処理するわけです。だから眼からじゃなくて、脳みそで美しさはとらえるものだ、っていうほうが一般的だとも思う。でも、眼ってホントだいじだよ、最近気づいちゃったんだけどさ。しっかり観ること、観察すること。なんかよく、絵が上達したければよくモノを観察なさい!なんて聞くけど、それみたいなもんなんだよね。美を感じたければよくモノを見なさい!って。たとえば、今日の月、形を覚えていますか?色は?ぜーんぜんおぼえてない。だからもっとおれっちは観察する必要があるってことだね。なんで美を感じたいかって、そりゃ感動するからで、感動したいから生きてるわけで、だから、もっとモノをよく見ようという回でした。

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